すべては簡単なことだ

すべては簡単なことだ

昔の日記が出てきたので、みなさんにも読んでいただきたい。

 

つくづく、人間というものは面白いと思うのである。

 

今日のヤフーニュースを読んでいて、ビル構造計算偽装が2004年にはもうバレていて通報・警告があったのに、担当者が「上司に報告するまでもない」と握りつぶしていた(というのもどこまでホントか判らないが)り、広島女児殺害容疑者のDNAが一致したり、愛子様が4歳の誕生日を迎えられたりするのを読んでいたのだが、よくもまあこれだけ多種多様で複雑な事が同時進行で続いているものだと感心してしまった。

 

もちろんそれ以外にも、イラクの新聞に米軍が金を払ってヨイショ記事を掲載させていたり、イラクの自爆攻撃をやったのがベルギー人女性だったり、トリノオリンピックのメダルがドーナツ型に決まったりしているわけだが、そういう話は関係ない人には関係なく、世界中のあちこちで着々と進行しているわけである。これって凄いことだなあ。

 

もちろん、私は上記のいずれにも関係ないわけで、目下の近接的な悩みはどうにも扱いずらいWindows2003Serverシステムを何とかして調整せにゃならぬ、ただしアプリを作った奴の協力も解説も資料もなしで、ということに尽きていることである。しかも、それが済んだら終わりではなく、そこからホントの仕事が始まるという酷い事態なのだが、そういう近視眼的な問題は、私以外の人には関係ないわけである。昨日上司にそれを言ったら「大変だなあ」と人ごとのように言われたが、さっき上司が騒いでいた札幌支社のプロジェクトマネジャーが今になってワケの判らない事を言いだしているらしいことは、私には関係ないので知らないのである。

 

つまり、こういうことだ。
この社会は、会社でもいいけど無数の問題があって、それぞれ各担当者が対応しているが、それは全体としては「確率雲」のようなもので、存在はしているが普通目には見えないのである。同時進行していながら、それは各個人的な問題でしかなく、解決も(というより何が解決なのかも判らないが)個人的にするしかない。何とかするということは、色々な方法があるが除けたり潰したりなれ合ったりなかったことにしたり、しらないふりをして上に投げるとか、もっと上位で方向転換をしてそれ全体の存在を消してしまうとか、ここに個人の神のごとき裁量権があるわけである。あ、責任とらなくていいというわけではないよ。

 

何か決めるのは、常に一人の人なのだ。ビル構造計算偽装を「なかったことに」してしまった担当者は、今どうなっているのだろうか。どんな気持ちだろうか。イラクで突っ込んだベルギー人の家族は、ドーナツ型金メダルについて決断した人は、愛子様は、というその他の人には関係のない無数の問題と結果がごちゃまぜになって、社会を通過していくわけで、たいていの場合我々はそれをネットで読んで「ふーん」とか思っているだけだ。

 

だが、その当事者にとったら大変である。メシも食えなくなり、眠れなくなり、イライラして怒りっぽくなり、鬱になり……そして、何となく過ぎていくわけである。諸行無常、色即是空。

 

ああ、憂鬱だ。動けよ! Windows2003Server!


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